大阪地方裁判所 昭和42年(人)2号 判決 1967年11月30日
請求者 甲野花子
右代理人弁護士 南館陸奥夫
右同 斎藤光世
被拘束者 甲野月子
右代理人弁護士 広川浩二
拘束者 甲野太郎
右代理人弁護士 小林保夫
右同 鈴木康隆
主文
被拘束者を釈放し、請求者に引渡す。
本件手続費用は拘束者の負担とする。
事実
一、請求者代理人は主文第一、二項同旨の判決を求め、その請求の理由として、
「(一) 請求者と拘束者は昭和四〇年三月頃から内縁関係に入り同年一二月二七日婚姻の届出を了し、被拘束者は同四一年七月二六日請求者と拘束者の間に出生した。
(二) 拘束者は勤務先より約四万円程度の月給をえながら請求者との家庭生活を顧慮せず、飲酒、競輪等に浪費し、多額の借金を作り、ために請求者をして家計のやりくりに困難を極めしめ、被拘束者の出産入院中も請求者が出産費用として控除していた金員まで競輪に費消し、退院後は被拘束者の身体状態につき医師の診療を迫って殴る蹴る等の暴行を加える状態であったので、これにたえかねた請求者は昭和四一年八月下旬頃より被拘束者を連れてその実家である肩書地へ戻り別居するに至った。
(三) その間請求者は拘束者を相手として離婚の調停を求めて来たが再度の同旨申立により調停期日の呼出がなされた直後の昭和四二年一〇月二二日午後八時過頃、偶々被拘束者を背負って請求者が母妹と共に近所の銭湯へ行く途中、突然拘束者が現われ、無理矢理に請求者より被拘束者を奪取し、請求者等の追跡をふり切って逃走し、同日夜当時の拘束者の住所であった大阪市○○区○○○町○丁目○○×××住宅二四号に出向き被拘束者を請求者に返すよう交渉したが拘束者の実弟外男女六、七名が威力を示しこれを拒否し、その後請求者の再三の請求にも拘らず、本件審問期日に至るまでその監護先を隠秘し、本件申立に至る間二、三回の出会いの際にも請求者が被拘束者を抱くことを拒んで来た。
(四) 現在被拘束者は拘束者の依頼により、その止宿先の山本雪子に養育されていることが、本件請求により判明したが、(イ)拘束者は被拘束者を請求者より拉致してより母親と隔離し、本件保護令状の出た後の審問期日にさえ被拘束者を出頭させなかった。そして拘束の場所、事由についてさえ明確な答弁をしなかった。(ロ)拘束者は被拘束者を母親の手許から引離し、第三者に預けても充分養育しうるとの単純な且つ浅薄な考えの下に被拘束者を請求者から拉致しおり、両者を完全に隔離する状態においたものである。(ハ)ところで常識的にも乳幼児にとって母親は必要不可欠の存在で、母親が子の養育を放置して顧みず、また子供にひどい暴行を加える等子供を遺棄若くは虐待してその生存を危うくするような行動に出ぬ限り、母親の膝下で愛育されるのが子供にとって最も幸福な状態なのである。(ニ)またこれを乳幼児の精神衛生面からいっても被拘束者は生後一年三月余の乳幼児で出生以来請求者の母乳を中心に養育され来ったものであり、それは別としても最も母親を肌で感ずる愛撫が必要な時期であり、この時期に母親を突如相当期間に亘り遠ざけることは精神発育、性格形成上回復しがたい悪影響を与えるといわれている処であって、山本がいかに専心監護に当り、拘束者が父として愛情をそそいでも、愛を肌で感受する母親と、その両親(祖父母)妹ら近親者の膝下で監護されるに比して被拘束者にとっては著しく不幸であることは、前項の出会いのとき被拘束者が強く請求者を求めた状態よりしても明らかである。
(五) 以上の拘束者が被拘束者を連れ去った経過、被拘束者の年令、もともと拘束者は請求者を除いて他に被拘束者を養育すべき女手がない一人暮しの家族構成であること、及び現在の右監護状態よりすれば、拘束者が被拘束者を不当に拘束していることが顕著な場合に当るというべきであるから本申立に及んだ。」とのべ、
疏明≪省略≫
二、被拘束代理人は「拘束者は被拘束者と一ヶ月間しか生活を共にしておらず殆んど面会していないから本件拘束発生前の状態に戻し、家庭裁判所の調停を待つべきである」とのべ、疏明資料につき請求者、拘束者同様の認否をなした。
三、拘束者代理人は、「請求者の本件請求を棄却し、被拘束者を拘束者に引渡す。」との判決を求め、答弁として「請求理由中(一)全部、(二)のうちある程度の飲酒、競輪を楽しんだこと、平手打ちを加えたこと、主張時の別居経過、(三)のうち、調停関係事実、主張の日時に被拘束者を連れ帰ったこと、監護先を黙秘したこと、(四)のうち、被拘束者の現養育先はいずれも認めるが、その余の請求理由はすべて否認する。右飲酒、競輪は請求者の許容せるものであり、出産費も結局は拘束者において調達済であり、平手打ちとて、拘束者が被拘束者に脚部の異常があり早急に専門医の診察を受けるよう請求者に指示したに拘らず、同人がこれを放置し、その愛情の欠如するところがあったので、拘束者が父の子供に対する愛情より出たものでとるに足らないものである。かえって(一)本件においてそもそも被拘束者は拘束状態におかれていないから本請求は理由がない。人身保護規則二条では拘束とは「身体の自由を奪い又は制限する行為」をいうとされているが、被拘束者は拘束者の下において拘束されているといった状態には全くなく、現在の監護者山本雪子にもよくなついている。これ同人が我が子にも及ばぬ親身の世話をした結果によるもので、被拘束者の体重も請求者の下にあった時より増えている。(二)またかりに拘束者の下にある被拘束者に何らかの拘束状態があるとしても規則第四条にいう手続に著しく違反していることが顕著である場合に全くあたらないから本請求は失当である。すなわち、拘束者は被拘束者の父であり、親権者である。親権者が自己の下にその子をおくということがどうして「権限なく」あるいは「法令の手続」に違反することが顕著であるといいうるのであろうか、なお拘束者が請求者のもとから被拘束者を連れ去ったことが穏当を欠くとしてもこの一事をもって現に行われている拘束が規則四条にいわゆる顕著性があるものと断定することは出来ない。(三)拘束者はその親権監護権に基いてその膝下に被拘束者をおいているのである。まさに法律上の権限に基いて被拘束者を自己の支配下においているのである。この点からも請求者の本請求は理由がない。(四)殊に以上諸点について、被拘束者を拘束者の許におく方が被拘束者にとって幸福であることは留意さるべきである。すなわち、請求者は一方的に実家に帰ったまま拘束者が被拘束者に会いたくて訪問しても寄せ付けず、抱かすことさえ拒みつづけていたので昭和四二年一〇月二二日夜も被拘束者に会いに出かけ偶々路上で会い、抱かせてくれと告げた上抱き上げたもので暴力によりとりあげたものではない。その後返還に応じないのは今日まで請求者のみが監護して来たから今度は当方が監護したいとの禁じえない親権者である父親の愛情の発露に基くものであると共に、請求者に監護を任すことは被拘束者のために不幸であるからである。蓋し、請求者自身前記の如く子供に十分な診察を受けさせないような、又連れ帰った時のような寒い夜に被拘束者をタイツ一枚の薄着で連れ歩く程母性愛に欠け、又拘束者を拒む余り、被拘束者の安全をも顧みず無茶な抱きすくめ方をするような精神錯乱状態に陥り易い女で、しかも後記の如く性的にルーズな生活を経験した女性であり、更に請求者が勤務中監護を委ねていた請求者の家族は、請求者が不幸にもかつて所謂妾などの境遇により敢えて貯蓄した金員を取り上げ徒食していたことがあり、又請求者の結婚出産時にも産着一枚買い与える愛情さえ示さなかった程の身勝手な若くは子供に対する愛情の欠如した者の集合であり就中実父、実妹には精薄者がありかかる生活環境では被拘束者の正常な発育が期待できない。これに反し、現在被拘束者は父親である拘束者と共にその実弟の被傭者の山本弘人方に下宿し父親の愛情と右山本の実母雪子の愛情深い監護養育を受け、右両名にもよくなつき明るく平穏に成育しているからである。」とのべ、
疏明≪省略≫
理由
一、請求者と拘束者は昭和四〇年三月頃より内縁関係に入り、同年一二月二七日婚姻届を了し、翌年七月二六日両名間に被拘束者が生れ、請求者は同年八月下旬頃被拘束者を連れて実家へ帰り爾来拘束者と別居し、家庭裁判所へ再度の離婚調停を申立てている処、その第一回期日前の昭和四二年一〇月二二日午後八時頃、請求者が被拘束者を背負って銭湯へ行く途中、拘束者は、被拘束者を抱き帰り、爾来自ら実弟の被傭者山本弘人方に下宿し、同人の実母山本雪子に被拘束者の監護養育を委ねて自らの許に被拘束者を置いていることは当事者間に争いがない。ところで、被拘束者は約一年四月余の意思能力のない幼児であるから監護方法として拘束者の手許におくことは、監護の性質上自由の制限が当然伴うものであるから、一応人身保護法にいう「拘束」というべきである。してみればこれを否定する拘束者代理人のこの点に関する主張は理由がない。
二、≪証拠省略≫によれば次の諸事実が一応認められ、他にこれを覆すに足る疏明はない。即ち
(一) 昭和四二年一〇月二二日午後八時頃拘束者は、出会い頭逃げようとする請求者の背中からおんぶされた被拘束者を抜きとり、追いすがる請求者をふり払い、泣き出す被拘束者を抱きかかえ、タクシーで当時の住居に帰ったところ、追って来た請求者の実父兄に腕力で一旦奪い返されたが、隣家に逃げかくれた請求者に対し拘束者の従姉妹に被拘束者の監護を頼むから渡せと強要と詐言を弄して再び被拘束者の返還を受け、その奪還を防ぐため内密裡に予め自らの下宿と被拘束者の監護を依頼してあった、実弟の被傭者山本弘人の実母雪子に出迎えを頼み、連れ帰った。そしてその後も本請求者の家族による奪還をおそれ、被拘束者の所在を秘し、本件第一回審問期日に拘束者は被拘束者を出頭させなかった。
(二) 山本雪子はかねて拘束者より被拘束者の監護を依頼されこれを承諾していたが、拘束者の住居へ被拘束者を迎えに行き、爾後、その長女の子供(孫)や数年前の他人の子供の養育経験を生かし、被拘束者を定時に便所へ行かせ、夜は添寝する等配慮し暖かい愛情を以ってその監護に努めており、被拘束者も同女に親しみなつき、歌も唱ったりして平穏に暮し、体重も増えた模様で、山本は被拘束者をおとなしいやり易い子と感じている。
(三) 請求者は実家へ帰って以来、別に勤務することなく被拘束者の養育に当っていたが拘束者よりの仕送りもないため、収入の途を考え昭和四二年四月頃より、毎日午前八時頃より午後七時頃までおそくとも同八時頃まで配膳婦として外勤するようになり、その間の被拘束者の監護は六一才の実母に委ね、夜は被拘束者とすごし、できるだけ毎週休暇をとるように努めている。請求者は、被拘束者が本件拘束後、現在では従前よりおじけて、陰気になっており抵抗感がなくなったように感じている。
(四) 拘束者は請求者と結婚以前に他女と離婚したが、その間に生れた女子二人の監護は同女に託し、その後殆んど子供とも交渉を持っていない。拘束者は前にも請求者に子供をおろさせたことがあり、被拘束者を懐妊したことを告げられたときも子供をおろすことをすすめたこともあった。拘束者は被拘束者出生後も請求者に対しては別居後全く仕送り送金等せず、子供の玩具を持参したことがあった程度で、昭和四二年三月頃第一回離婚調停不調直後請求者より何ら金銭的要求がなければ請求者被拘束者の籍を抜いてやってもよいと述べたこともあった。そして拘束者は前認定のとおり被拘束者を拉致してから後山本雪子に対しては取りあえず三万円を支払い、後日内一五〇〇〇円を被拘束者の一ヶ月の養育手当、その余を二人の一ヶ月の下宿代と定め、その間他にミルク代若干を支払っており、山本雪子方に下宿してからは、毎夜六時半から七時頃に帰り夜間及び日曜日は被拘束者を努めてあやしている。
(五) 満三才未満の幼児を母親の手許から相当期間隔離するとしばしば精神発育上有害な影響が生じることが精神衛生学者間で論じられている。
以上の外拘束者が主張する如く請求者が結婚前他の男性の妾をしたり性的にルーズであったり現に精神錯乱状態であり、その肉親に精薄者が居る旨、肉親が請求者の貯金をとり上げて徒食していた旨及び拘束者の実弟が結婚すればその妻が被拘束者の監護をすることに決っている旨の拘束者の供述部分は俄かに措信しがたく、他にこれを認める疏明はない。
前記認定事実よりすれば拘束者の下における被拘束者の現監護環境並びにこれが出現した経緯等一切の事情を綜合判断して、また、母親が子の養育を放置して顧みない等子を遺棄若くは虐待する等特別の事情のない限り経験則上からも少くとも三才未満の幼児は母親の膝下で監護されるのが最も自然であり、子供にとってきわめて幸福であるといえる点を併せ考えれば、拘束者の下における被拘束者の現監護状況はそれが平穏であっても又山本の愛情善意努力に拘らず被拘束者にとっては請求者の下におけるそれに比して極めて不幸であるというべきである。なお拘束者主張の被拘束者の脚部に関し医師の診察云々の点もこれを放置しておいたものではなく、予め医師にたづねたところ、さして心配に及ばぬとのことで大病院の診察をうけなかったが、拘束者より叱責をうけて間もなくこれが診察を受けていることが請求者の供述により一応認められるからこれを以て請求者の子に対する愛情不足を示すものといえない。
三、そうだとすると拘束者がなす被拘束者の現拘束は不当であって、それが顕著であるというべきであるから、請求者の本件請求は理由があるものとしてこれを認容することとし、被拘束者を釈放し、被拘束者が乳幼児である点にかんがみこれを請求者に引渡すこととし、手続費用につき人身保護法第一七条民訴法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 増田幸次郎 裁判官 杉本昭一 古川正孝)